2008/5/9
今日もしゃこしゃこ自転車こいでます。。
トクスンから南下の道はとっても険しい上り坂。
60キロずーーーーーっと上り坂。
山道なんだから登って下ってを繰り返すのが普通ですが、、ここはそんなあまいことゆるしてくれません。
60キロ登り道こなしたら、そのあと40キロ下り坂。
うーん。。。。。
しかもその間、宿泊できるような街はいっこもありません。
誰に聞いても、、、
次の街までいかないと宿泊できないよーーーっていわれちゃいます。。
むむむむむ。
必死でペダルふむしかないです。
あ、でも、先に上り坂っていうのはうれしいことかもしれません。
あとに続いた、ずーっと続く下り坂はきもちよかったーーーーー!!!!
すちゃーーーーっと体が進んでいく感じ。
自己最高速度も更新しました。
53キロ。
ひたすら直線だから出せる速度ですねーー。こんなん怖くてカーブまがれん。。。
ところで。。。
途中、ちょっと路肩が広くなっていて車停めて休憩できるようになっているところを通りました。。
まぁ、なんの変哲も無い休憩所です。
そこに、一台の車がとまっています。
周囲にたっている、4人の男性。
なにやら絨毯のようなものを持って、、わたわた歩き回っています。
、、、どうやら適当な場所を探しているよう。
それなりの場所をみつけて、、絨毯をひろげて。。。。
彼らが始めたのは、、、
お祈りでした。
そう、ムスリムです。
決まった時間になると、メッカの方角にお祈りする。。
単純な儀式ではあるけれど、、生活の中にしっかりと根付いています。
ドライブ中でも、ちゃんと車とめて、お祈りする。
時間がくれば、大抵のことは中断して、お祈りする。
生活を律するひとつの柱になっています。
すっごいなーーーー。。。。。。。
お祈りに限らず、、諸々のことの絶対的判断基準をあたえてくれる宗教。
それがしっかりと根付いています。。。。
塩野七海さんの「ローマ人の物語」の中に、こんな内容の一説がありました。(細かい表現は微妙に違うかもしれません><)
「人の行いの正し手を、、
宗教に求めたユダヤ人
哲学に求めたギリシア人
法律に求めたローマ人」
それぞれ民族の性質をよくあらわしている、、と著者はいいます。
なるほどですねーー。。。
ふと、、、考えました。
この表現だと、日本人は何を正し手にしてるんでしょう。。。。
なんだろう。。。 、、思いつかない。。。
、、、ひょっとして、、、なにも、、、ない!?????
宗教でも哲学でもなさそうだし、、、、法律なんて普段は意識しないで生活している人がほとんどですよね!???
よく言われる、論理的思考ってやつも、行動の正し手とはなりそうにありません。
日本人、まだまだ論理的思考が根付いているようには見えないですもん。
と。。。
正し手って、、、ないの???
むむむ、、、。。。
ないかもしれん。
でも、、ひとりひとりの心の中には「日本人的な考え方」っていいうのがしみこんでます。
それは、、周囲の雰囲気を大事にすることだったり、、季節と一緒に生きる知恵だったり、、卑怯をよしとしない姿勢だったり。。。
ひょとしてすこしずつ弱くなってきているかもしれないけど、やっぱりどっかにしっかりもってる。
美意識っていうのに近いかもしれません。
外に正し手を求めずに、内側にある美意識で自己を律してきた。
、、、かっちょいいじゃないですか。
論理的にどうこう考えるよりも上のレベルに、、
「ならぬものはならぬのだ」の葉隠れ的教えで卑怯や怠惰を忌避する文化。
これって結構すてきなことなんじゃないかなー、なんて思います。
論理性第一もいいですけど、論理以上に大切なものを大事にする姿勢は、、、大事にしていきたいですねーーー。